2022年開始分の募集
その絵はもっと上に行ける。少しだけ手を加えるだけでも。
美術絵画作品を補強する個人授業です。制作プロデュースと活動全般をアシストし、作品をより芸術的に個性化し、欧州市場向けに最適化します。
文化教室で楽しく絵を描いたり、自分の表現に色々迷われているケースでも、発想を一段広げて楽しく続けられる一助となるプログラムです。
日本の美術を欧米国で展示する募集事業から、企画に手を広げ海外展示を行ってきました。当初は作品個数100点のうち2点ほどが現地客に買われました。ところがある回で70点以上を、1年以上常設展示して、1点も買われませんでした。
「好きなものを出してください」では、成果が伸びない現実がありました。画家一人の手にかかっているというのでは、あまり売れなかったのです。企画できる立場になり、やり方を変えました。相手国のお客が買う範囲に作品を入れていく発想です。作品を外向的にする、ともいえます。
制作マネージ作戦以後は、2016年46点中10点、2017年49点中12点、2018年34点中9点買われました。方法論を洗練し、個人教授の塾を単独企画にしました。こちらが考える芸術性が、ドイツ国で売れ数が伸びる相関関係があるとわかり、制作にフィードバックしています。
さらに知ったのは、欧米国では制作アドバイザーが普通に存在し、美術家が自己責任だけで立っているわけでもない実情です。日本の美術市場の小ささの裏には、買う意義を作品に盛り込むチーム態勢が業界内になくて、一人一人が孤立する国内事情が隠れています。
絵を海外へ送ったのですが、展示され戻って来て終わりました。どうせなら売れて欲しいし、注目されたり話題にならないか考え始めました。
海外で注目され売れる作品は、日本と違う価値観で選ばれます。背景の違いは展覧会の方式です。海外はアートフェアばかりです。フェアは販売会で、展覧会とは美術の市場、バザー、売店です。買い物なのだから、誰もが真剣に見ます。
一方、日本の展覧会は公募コンテスト、制作競技がほとんどです。優れた作品を主催者が先に決めて、お客は鑑賞して心の糧(かて)にします。会場販売や商談は禁止が多いようです。この内外の違いで、国内と海外で価値観が逆になるなども生じ、改良作業が有効です。
自分の作品がこの方向で良い傾向なのかが、判断できずにいます。自分の思うとおりでよいという一般論だと、何だか素人レベルで止まりそうで、ちょっと迷っています。
自己採点はまず外れます。実際に買われた作品は、作者が「へえそれが?」の結果が多いのです。美術の価値の内外差以外にも理由があります。たとえば自分の横顔を撮影した姿が嫌いな人が案外多いように、チャームポイントも自他で違ってきます。
別人の視点で補正する手があります。スポーツ選手が自主トレ以外にコーチをつけ、修正や完成度を上げるのと似ています。自分発見は、旅に出たりするよりも、他者の目を入れての調整が簡単で早いでしょう。難しい作業は禁物です。
自分は具象画も抽象画も続けて、立体オブジェや写真作品もやっています。どれも楽しく感じていますが、どれも中途半端な気もします。一本化がよいのでしょうか。
別人のように異なる作風を同時並行する作家は、今どきは実は多数派です。どの作風に最も芸術性が表れているかで、力の配分を変える対処で十分です。作風をミックスするアイデアなどは、他者の視点もあれば判断しやすいでしょう。
海外展示活動は一回で大出世とまではいかないので、作風確立から完成度を上げて、手間と多少は時間がかかります。欧州には才能が集まるので、二兎を追うと一応は不利です。同時並行したまま「本命はこれ」と、一時絞り込むのもよいでしょう。
デザイン出身ですが、絵画に関心があり描き始めました。やってみると何を取っかかりに作品をまとめればよいのか、情報が色々と多くて目移りします。
今の時代はあらゆる作風が実現済みで、ネットで見て真似たりもできます。何かを参考にしようと情報収集すると、自分を喪失しやすいでしょう。だからヒントは外にあっても、作風は自分で出して育てる方が楽です。オリジナル勝負の方がかえってスムーズです。
もっとも自分の中にある作風は、自分で取捨選択し抜粋するのはやりにくい面も。基盤づくりは、海外を目標にするのが近道と思われます。海外商戦に加わることで、むしろまとまりやすいのではと予想しています。
美大の授業内容から離れにくく、学生作品ふうの習作の乗りも出てしまいます。過去を持たない人たちの作品の方が好きにやっていて、自分には負の遺産があるのかと不安です。
何かを大きく変えるといっても、画風は人の身のこなしみたいなもので、取り替えても無駄な苦労です。芸術性はもっと意外な面に表れることを、理解していただくのもこの企画です。今ふうの絵がかけるかは芸術の課題にならず、ある種の文化教室とは違います。
欧州国には芸術的な基盤が厚く、どうも伝統的に大事にされているようで、情報発信してきた側の強みが一般市民にも感じられます。「こういう作品が芸術的なのだ」という核心が、はっきりしています。入り口は無限にありますので、今のクセを活かして成果を引き寄せます。
自分は珍しい作風だと思っていますが、成果はまだ出ていません。独自色だけではまだ足りないとすれば何なのか、ヒントだけでも欲しい。
美術大国は作品が豊富で食傷していて、技能を求めはしません。ユニークな作品が購入対象になりやすいのは確かです。しかしそこに、決定的に背中を押す要素がやはり欲しくなります。それが何かは作品ごとにまちまちに広がり、類型化しにくいと感じます。
日本に横たわる大問題のひとつに、正面切って芸術とは何かを作品に表さない、表現が浅い傾向があります。その説明しにくい部分以外にも、外国が日本に何を求めているのか、現代日本の文化と伝統の課題も根底にあり、大きめのテーマのひとつです。
欧米向けに売れやすい作品に改良するとはいえ、自分を失う結果になったり、やりたくないことにそれてしまう不安もあります。混乱が起きないかも心配で。
たとえば平成時代に、日本人は変わろうとしました。草食系から肉食系、コンクリートから人へ、競争社会に変えて格差を開いて、能力給制度や目標達成方式とか。年功序列や終身雇用をなくして。古い伝統や文化を捨てて、英語社会に変えるとか。改革すべきだと。
結果は「失われた30年」と呼ばれる、デフレ不況が続きます。敗因は変えたことです。ひっくり返したから右肩下がりの低迷で、イノベーションも途絶えました。わずかな工夫やプラスアルファで足りたのです。大事なのは理想より現実。根底的な自己啓発は創造を生まないと考えます。
絵を売る話になるとどうしてもつきまとうのは、大衆迎合的な売れ線にそれて、芸術から脱線してしまうのではないかという不安です。
それは日本に特有の不安です。日本の芸術観は世界とはあべこべの方向へひっくり返っています。しかし外国のアート作品も入ってくるから、あちこちで矛盾が生じて複雑にからまり収拾がつきません。あれが良くて、これがダメな理由が見えません。
そんな中で「自分のやりたいこと」「芸術性」「売れる」の三つがからみつき、国内はカオス状態です。海外では最初に芸術の本筋ありきで、そこから距離が取られています。芸術性と売れ行きは比較的相関しており、芸術をとるか商売をとるかのジレンマは起きにくいのです。
自分はプロ画家は目指さず、好きな絵を楽しく描いて過ごせればと思っています。ただし、長続きすることも大事と思うので、何か最初に話を聞いてみたい。
芸術の起点はエリート教育でなく、毎日の中で発見するものしだいです。好きな絵を試してみて、いつしか買われる立場になった経歴の方も少なくないでしょう。技巧という次元の外側に、国内でたくさん埋もれていることもわかっています。
日常の中で日頃から目に入る範囲に、芸術の核心がある前提で考えています。そうした話題も多く用意し、鑑賞の立場に回るだけでも一歩でも奥深い体験が楽しめるような切り口が多くあります。できないことをやりとげる訓練ではなく、できることに気づく機会をつくります。
せっかくの作品の成果を試せるような、展示イベントの機会はありますか。
こちらにドイツ展示イベントがありますが、コロナ感染状況急変の不安定が残るので、再開はまだ先になりそうです。再開すれば、会員価格でご参加いただけます。またプリントアートを海外でつくり、日本へ送る企画もあります。
現代アート絵画塾では、展示のコツなどにも触れます。日本以外の先進国では、美術は市民の日常生活の中にあって盛んです。現地の人々は美術を見上げていないし、見下ろしてもいなくて、文化交流は親しみあるものになります。
様々な条件に個人差があるので、個別に変則的な話の順序になってきました。個人教授の家庭教師の趣向です。共通テキスト配布の通信講座とは違い、ワンメイクのメールで個別に対話します。